受け継がれる
青学マインド
「青学らしさ」とは何か。
現在に受け継がれる「青学マインド」を、
150年の歴史をさかのぼり、
過去と現在を比較しながらご紹介します。
「青学らしさ」とは何か。
現在に受け継がれる「青学マインド」を、
150年の歴史をさかのぼり、
過去と現在を比較しながらご紹介します。
国際交流と英語教育
【青が、来る。】
アメリカの宣教師により、源流となる三つの学校が創立されました。
青山学院の創立記念日である1874年11月16日に、来日してわずか19日目のドーラ・E・スクーンメーカーによって麻布の地に「女子小学校」が建てられました。生徒7人だけの学校では、英語と聖書が教えられました。
【始まり=国際交流】
青山の地に
【青山、開校!】
1883年、アメリカの牧師ジョン・ F・ ガウチャーの寄付により、青山に3万坪の土地を購入しました。江戸時代には伊予西条藩松平家の上屋敷のあった場所で、明治時代には開拓使の第一農業試験場が置かれていました。宣教師たちは「東京における最上の場所の一つ」「健康に適した丘陵で、足場もよい」と報告書で述べています。現在の青山キャンパスの原型がつくられました。
【農業試験場跡地に】
守り続けるキリスト教教育
【学びは、永遠に青い。】
1899年、文部省は各種学校を除く官公私立学校における宗教教育・儀式を禁止する法律「文部省訓令第12号」を制定しました。開校当時から、キリスト教教育を行ってきた青山学院は、私立中学校として得ていた各種の特典を返上し、訓令の適用を受けない各種学校としてキリスト教主義に基づく教育を続ける道を選びます。
【宗教教育禁止令に立ち向かい】
社会貢献 サーバント・リーダーを育てる
【ずっと、青く。】
1923年9月1日の関東大震災では青山学院でも校舎のほとんどが崩壊した中、残った中学部寄宿舎を負傷者の治療施設として聖路加国際病院に貸し出しました。女学院では体育堂を開放し、孤児・迷子の収容、保護も行いました。
自らも被災者であるにもかかわらず学生と教員による震災救護団を組織し、学内・学外の被災者の救援に努め、東京市の要請で社会奉仕活動も行いました。
【関東大震災での奉仕活動】
平和の希求
【共生社会を目指して】
第二次世界大戦で、青山学院は試練を与えられました。1945年5月25日のアメリカ軍による山の手空襲では青山学院の7割の建物が焼失しました。
戦後、廃墟の中から、青山学院の教育を復活させるべく、多くの人々の努力で、力強く歩みだします。
【戦争と戦後の復興】